メンタルマネジメントの確立
福祉と心理の融合についてですが、
何にしても心理的ケアが役に立つ、効果がある、
という目に見える結果と実績が必要であると考えられます。
心理的ケアと称して的外れなことを実施している
心理士がいることも事実ですし、
そこを正していくことが基本となります。
次に効果が出やすい、取り組みやすい分野から徐々に広げていくことがポイントであると考えられます。
いきなり難しい分野で取り組んでも結果が出せないと意味がないので、スモールステップで徐々に難易度を上げていくことが大切です。
そして、影響力のある媒体を用いて実証していくことにより、福祉と心理の融合がなされると私は考えています。
具体的には、
①エビデンスが認められている認知行動療法を基に、メンタルマネジメントを行う。
②症状の重い精神疾患を対象とするのではなく、まずは基本的に健常者や傾向のある人を対象とする。
③大規模な企業にて実施し、実証する。
という流れになります。
これらの流れについては詳しく後ほど述べていこうと思います。
福祉と心理の融合
私が大学で学んで来たことは、先のブログでも述べたように福祉です。
社会福祉士という資格が取れるからという理由で興味がある以外の福祉分野も幅広く学び、実習では役所の福祉事務所で様々な課を満遍なく回ることができました。
その実習を通して1番感じたことは、福祉の現場で心理ケアが必要とされていることです。
様々な福祉サービスを必要とされている方は、何かしらの悩みを抱えています。
親から虐待されている子どもや、末期ガンで苦しむ終末期医療の患者、事故後遺症による身体障害者、身寄りのいない高齢者など多くの方がストレスを抱えながら1日1日を生きています。
また、その逆に対人ストレスや仕事のストレスを原因として、うつ病を発症し、復職できず福祉サービスを必要としている方もたくさんいます。
このように福祉と心理ケアは切っても切れない関係であり、福祉サービスにおいて心理的介入は必要不可欠であると考えられます。
現に福祉の現場で心理職の求人を行っているところもありますが、問題はその少なさ、連携の取れなささであると思います。
友人で福祉の現場で心理士として働いている者もいますが、非常勤であったり、月収20万円以下というのが普通です。
また、心理士は話を聞いているだけで何もしていないと思われがちで、他の職種から差別されているのも、原因であると考えられます。
以上のように福祉の現場で心理ケアは必要とされながら、まだまだ普及されていないという問題があります。
では、どのように福祉と心理を融合させていくのか?
その答えは次のブログで述べていこうと思います。
「全ての人が、当たり前の生活を当たり前に過ごせる世の中にする」
少し期間があいてしまいました…
できる限り毎日書きます。
少しずつでも。
私の夢は
「全ての人が、当たり前の生活を当たり前に過ごせる世の中にする」
ことです。
大きな夢で馬鹿げたことだとか無理だとか偽善者だとか言われるかもしれませんが、
これが私の夢で人生の「価値」であると確信しています。
この夢に至るのは振り返ること10年ほど前。
私が医学部入学目指して浪人している時にさかのぼります。
現役の頃はなんとなく医者になることを目指し、受験し浪人してしまいました。
浪人して、改めて「何故自分が医者になりたいのか」考えてみることにしました。
初めのきっかけは、祖母から「おばあちゃんが病気になったら助けてな」というのが4歳くらいだったと思います。それからは自分が医者になるものだと産まれたての雛のように刷り込みされ、それが当然と思って幼少期を過ごしていました。
2つ目のきっかけは憧れる優しくてカッコいい小児科の先生がいたことです。
幼い頃からよく風邪をひき、その度にその先生のところに連れて行かれていました。
その先生は診察の時は白衣を着ず、穏やかで優しく子どもの私に接してくれる理想的な小児科医でした。幼い私の質問にも丁寧に笑顔で答えてくれていました。
ここまではまあよくある話というか、浪人する前から考えていたことなのですが、3つ目が「1番強い」夢のきっかけになります。
浪人中のある日、母に私が3才のころ紫斑病で入院した時の話を聞きました。
その当時の記憶はうっすらとしかありませんが、母からは「入院中も自分のことは自分でやりたいテキパキした子だった」と聞いています。同室の子に私のおもちゃを貸して、「早く返して欲しいなー」という独占欲のあるような子だったと。
本題はここからなのですが、そのおもちゃを貸していた子は「今はもういないんじゃないかな…」と母から言われ私は衝撃を受けました。
幼い子どもが先天的な病気で苦しみ死んでいくということがあることはもちろん知っていましたが、まさか自分のすぐ側であったとは思いもしていませんでした。
私が学校に行って友達とケンカしたり、テストの点数が悪いだの、好きな子にふられただの言って悩んだり落ち込んでいる時に、その子は「学校に行きたい」「友達と遊びたい」「明日も生きていたい」と思い悩み、そして死んで行ったのではないか。
当たり前の生活が当たり前に送ることができず、死んで行ったのではないか。
もし一歩違えば、自分がその子の立場だったかもしれない。
自分は生かされている。
その子の分も精一杯人生を生きなければならない。
そう感じ、そう考えた時、私は涙を流していました。
自分にならできる、自分にしかできないことはないか。
当たり前のことで悩み、当たり前のことで笑えることがいかに幸せなことなのであろうか。
全ての人が当たり前の生活を当たり前に送れる…そんな世の中って素晴らしい!
と感じました。
なので私の夢はその時から、
「全ての人が、当たり前の生活を当たり前に過ごせる世の中にする」
こととなり、
そのためにその子のように病気で苦しんでいる子どもたちを1人でも多く救おうと思い、
小児科医になることを決めました。
それから勉強に励み、合格判定ラインもクリアし、いざ本番…
残念ながら不合格でした。
そして滑り止めで受かっていた大学で仮面浪人生としてスタートしたのですが、
そこで運命的な出会いをしたのでした。
「福祉とは、"当たり前の生活を当たり前に送れる"ようにするサービス」だと、社会保障論の講義で教授が述べていました。
まさに「これ」だと。
今までは病気を持った子ども達を治すことを仕事にしようと考えていましたが、
世の中には、身寄りのいない高齢者や、現在の医学では治すことができない障害を持った方、親のいない子ども、仕事をしたくても様々な理由で就けない方など数え切れないほど、「当たり前の生活を当たり前に過ごせていない」人がいます。
そんな人達を救うことができるのが「福祉の力」だと。
それから私は医学の道ではなく、福祉の道を進むことに決心しました。